こんにちは。小娘です。

朝からへその緒あたりが重苦しかったので、白湯を飲んでYouTubeの朝ヨガをしたら頭と体がスッキリしました。ヨガってホントにすごいんですね。
ヨガマット買おう。。

今日は午後からバイトなんですが、テレビ収録があるみたいで、なんだかそわそわして落ち着きません。


朝時間があったので、自由について考えてみました。


仮に、自由である=オープンであること だとします。

"オープン"という言葉からは、冷蔵庫を開けるときのイメージが湧きます。

冷蔵庫には何が入っているか?

新鮮なフルーツや卵が並んでるかも。

または消費期限切れの何かが入っているかもしれない。

ソースがこぼれてこびりついているかも。

物が少なくスッキリしているのか、物がたくさんでぐちゃぐちゃなのか。

人に冷蔵庫を見られることは恥ずかしくて嫌だ。と思う感じと
自分が周りの状況や人に対してオープンになれないときの感じはなんだか似ているなと思います。

これを書いてて、姉が姑さんに自宅の冷蔵庫をチェックされた!と言っていたのを思い出しました。笑

見たくないものを自分で見るのは勇気がいります。

自分でさえ見たくないものは他人にも見てもらいたくない。

解決方法は、まず自分がその得体の知れないものを見られる状態にし、その過程でそれを受け入れていくことかなと思います。

自由を阻んでいる原因は自分自身(冷蔵庫)を見ないようにすることが一つあると思いました。

見ないようにする=自分を閉じるとも言えるかもしれない。

得体の知れないままだと怖いままなんですね。



自由である。自由自在であるってことは、自分が何を考えても良いとオッケーサインを出すことでもありますね。

思考の制約は実はない。

あるとしたら、それは自分で作ったもの。

不自由な感じがして苦しかったら、自分自身で作り上げた制約(囲い)の中でもがいている状態なのかもしれない。

少し勇気を持って自分自身を覗いてみたら、自由な空気が入ってくるのだと思いました。


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