こんにちは。小娘です。

知り合いに映画を字幕なしでみることにしたと言ってる人がいて、あ、いいな。私もそれやろうと思い、こないだやってみた感想です。


聞き取れないことによる不明点はたびたびあるのですが、字幕を追いながら観ているときより、人の表情、仕草、周囲の景色、どうでもいいところをながめる余裕があった。

言葉以外で得られる情報をがんばってさがしている自分がいた。

自分の完璧主義的な一面も感じた。言ってる言葉を全部分かりたいと思ってみているとフラストレーションが溜まっていく。

なので、だいたいの話の流れがわかったからいいか、とオッケーサインを出すようにしました。


カウンセラーの方が

「人が言葉から得られる情報は実は少ないと言われている」と言っていたと思います。
(うすぼんやりした記憶ですが、意味は合っているはず・・


言葉を聞いて理解したつもりになる。その奥にある真意や、複雑な感情までは見なくなる。

花を見て、桜だ。チューリップだ。とわかり、それ以上そのうつくしい感じをみるのをやめてしまう。のと同じことだと思います。

どもったときに「あ行だったからだ」、「この地名だったからだ」と思ってそれ以上深くみないのと同じだと思います。

映画の観方も、前はそうなってなかったか?と自分へ問いかけるきっかけになりました。

英語に慣れるという目的もあるけど、ほかに気づけるものが沢山ありそうです。


今日たまたまテレビで、サハリン出身の耳が聞こえない方同士が紆余曲折あって初めて日本で出会ったときの、抱き合っているシーンをみました。


こみ上げているだろう二人の感情や表情がなんともいえなかった。

言葉はないけど、二人はお互いの気持ちを通じている。

表情で語っている。



どもったとき、言葉が出てくるのにいくら時間がかかっても、表情や身振り手振りでも相手に何かを伝えることはできるのかなと思いました。

言葉が100%じゃないということ。他に相手に好印象も悪印象も与えることができる方法があるということ。

やっぱり笑顔は大事ですね。


ミステリー系の難しいやつは字幕で観るとか、自分をしばらずに柔軟に、映画鑑賞は続けていこうと思います。

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