吃音改善のグループカウンセリング    ***廣瀬カウンセリング東京ブログ***     『ひろせカフェ』

廣瀬カウンセリング東京ではどもり(吃音)の改善を目指したグループカウンリングを開催中です。
無料見学は随時募集中。
申込は下のリンクにある公式HPからメールでお願いします

無料見学できます。申込は公式HPからメールで受付中!

カネゴンです。
半年くらい前のこと、吃音に捉われることがほぼなくなり、やっと理想が見えてきたと思っていました。
でもその状態は長く続かず、吃音の症状が悪化したり、今までとは違った症状に悩むようになってしまいました。

吃音の症状が一切なく、吃音に一切捉われない、そういう状態を理想と考えている方は多いでしょう。ただそういう状態に辿り着いた方はあまりいないように思います。
もちろんそういう理想を掲げるのも良いと思いますが、辿り着いた方があまりいない以上、より現実的な理想も別途考えておく必要があると思います。

私は今回の経験から、調子を落としたときに早く立て直す力を持っていることもまた理想なのではないかと思いました。
人間のメンタルはそんなに安定的なものではないでしょう。だからたとえ吃音症状が改善したとしても、再度悪化してしまうこともあります。そんなときに自力で何とかできれば充実した日々を送ることができるでしょう。
落ち込む期間を0にすることが究極的な理想ですが、それはやや非現実的ですので、そういう期間を短くできるような力を手に入れるべく試行錯誤することも一計でしょう。
    このエントリーをはてなブックマークに追加

く~じぃです。

私事ですが、勤めている会社で異動になりました。
これから新しい仲間と仕事をすることになりますが、異動になると自然に頭に中で今までの仕事に関わる事を整理し始めます。今の部署で会社に貢献できただろうか?何を学んだのだろうか?やり残したことはないだろうか?残る人は大丈夫だろうか?などや、周りの人の協力がいかに大きかったかを感じるきっかけになります。このように、見方を変えると、今まで見えていなかった様々なことが見えてきます。

このブログでも何度か見方を変える大切さを書いてきました。私は、見方を変えることのメリットは、正しい判断するための最善のプロセスだからだと思っています。一つの方向から見ているときは、その方向から見ることが最善なのか、正しいのか判断できません。比較対象がないからです。見方を変えることで複数の見方があるので比べることができます。変えた見方が多ければ多いほど正しく判断するための材料が増えます。この考えは会社での仕事だけではなく、日常生活や吃音克服改善にも当てはまります。

『今度の会議でまたどもってしまうかもしれない』
・またどもると思う根拠は何か?
・どもったら本当に仕事に支障が出るのか? ただの思い込みか?
・誰かに何か言われたのか? 言われたことは全員同じ思いなのか?

『どもってみんなから馬鹿にされているのでは?』
・馬鹿にされると思うのに何故仲間がいるのか?
・仲間全員が同じことを考えているのか?そんなことがあり得るか?

『どもることが気になる。劣等感になっている』
・気にしなければどうなるのか?
・どもることが劣等感なのか?内容を上手く伝えられないことが劣等感なのか?
・うまくいかないことを都合よくどもりのせいにしていないか?

これらは吃音の見方を変える一例です。今までと違う角度から吃音を見てみましょう。
吃音を深刻にしているのは一方的な見方しかしない自分自身です。
さまざまな角度から観察し、正しい判断ができる努力をしたいものです。
吃音改善・克服はこの考えを起点に始まると思います。

    このエントリーをはてなブックマークに追加

カネゴンです。
しばらく教室から離れていましたが、先月の30周年記念パーティーに参加して、安心感のある雰囲気を体感したり、教室運営に尽力している方の話を聞いたりしてやっぱり教室に関わろうと思い直しました。


吃音改善に取り組むことも大事ですが、悩める方々が安心して訪れることができるような場を維持すること自体が何よりも大事なことだと思います。

教室を離れて久しい人であっても特に気兼ねなく参加できるような雰囲気が今の教室にはあります。


教室に通っていた頃の記憶は、自分の中では悪い記憶であってできれば忘れたい、明確にそう思っていた訳ではありませんが、そういう思いもあって足が遠のいていたように思います。

でも、そういう悪い記憶があるからこそ、ごくごく普通のことですら光り輝くという面もあると思います。過去は変えられないが、過去の意味、過去の位置づけを自分の中で変えることはできます。

順風満帆ではないからこそ充実した人生、そういったものを教室に参加しながら考えていければと思います。

    このエントリーをはてなブックマークに追加

く~じぃです。
今、仕事の関係で語学レッスンを受けています。(受けさせられています。(笑))
zoomで初めての言葉を先生に習い発音しながら覚えていくのですが、何度か回を重ねるうちにどもって話しずらい言葉が出てきてしまいました。この現象を冷静に整理することにしました。

<事実の整理>
・最初はどもることなく話せていた。
・次第に限定した言葉がどもるようになってきた。
・『チェット』の発音は言えるが『チュン』の言葉は言いにくい。
・言いにくい言葉を発音するときは、口やのどに力が入っている。
・言いやすい言葉は余計な力が入らず話すことができている。

<心の整理>
・『この言葉がどもりやすい』と決めつけるようになった。
・苦手な言葉を話前には必ず『いやだな』『言えるかな』と心配している自分がいる

<考察>
これらより、何が起こっているのか冷静に考えてみるとこうなりました。
①最初はどもることもなく話せていて、余計なことも考えていない。力も入っていない。
②言いにくいと感じ始めると、次第に口やのどに力が入り始めた。
③読む前から苦手であることが頭をよぎり、口やのどには強い力がかかるようになる。

<結論>
私の場合、どもり始めた起点は『苦手意識』だったと思います。これは会話の中では余計なことで、
会話相手には関係のない事であり、自分と自分で会話しているようなものだと思います。
誰が考えても、『チェット』は言えるが『チュン』は言えない身体的障害などあるはずがありません。

このように整理してみると、深刻に悩むのがバカバカしくなり、むしろ自分に呆れてしまいます。
勝手に作り上げた苦手意識を一度無くして、語学レッスンをしてみようと思います。
コップン・カー(ありがとうございました。)



    このエントリーをはてなブックマークに追加

nuku nukuです。

 ここのところ思うのですが、廣瀬先生がご逝去されたのが確か2014年、その後はくーじいさんが廣瀬先生の代わりのような存在として廣瀬教室を引っ張って来てくれました。本当に感謝しかありません。
コロナ禍の困難も乗り越えて、今年になって東京言友会からの独立をしてこれからの時に、くーじいさんと修了生を牽引するO9さんまでも海外赴任となりました。
 今は廣瀬教室の大きな試練の時かもしれません。
 しかし、東京言友会からの独立にあたっても長く準備をして、皆で話し合い考えをまとめて乗り越えて来ました。見やすく刷新したホームページへの差し替えもあと少しだし、廣瀬教室の告知や会員獲得の為の対策もあの手この手を考えて実行しています。
 くーじいさんからのメールにもありましたが、これからは修了生が教室を引っ張るような形が理想だと思っています。修了生は今まではどちらかいうと観客として見ていた方ですが、一緒にフィールドに入ってもらい、新しい方や見学者に対して手を差し伸べて一緒にフィールドに立てるよう力を貸してもらえたら助かります。
  よくピンチをチャンスに変える、という言葉を聞きます。今の皆さんにはその力は十分あると思います。共にチャンスを活かして頑張っていきましょう!
    このエントリーをはてなブックマークに追加

く~じぃです。

どもっているときに、皆さんはどんなことを考えていますか?
私は報告準備が不十分なことからの心配、焦りなどが多いと感じます。
中には〇〇の事が言えない、恥ずかしいなど様々な感じ方をしていると思います。
人により内容は違いますが、これらの共通点はないのでしょうか?私は共通点があると考えています。
それは、『思い込み』『会話の相手を無視した独り言』などのような言葉でくくることができると考えています。

では、なぜこのような考えになるのでしょうか?
私が思いつく事としては、『吃音の囚われからくる一方的・限定的・悲観的な見方』になっているからだと思っています。簡単に言うと、全体が見えていないという事です。

(一方的)自分は、こうだろうと思っていても、相手はどう思っているかわからない。
(限定的)吃音の事ばかり考えてしまい、話す目的に目が向けられていない。
(悲観的)どもる事の辛さばかり感じるあまり、必要以上に自分を落ち込ませている。

こんな時は一度立ち止まり、『俯瞰して見る』ことが大切だと思います。
俯瞰という言葉を調べてみると、『広い視野を持って(巨視的に)物事をとらえる事』という意味になるそうです。一方的・限定的・悲観的などの言葉は全て偏った見方であり、全く逆の見方であることがわかります。私たち吃音者は全体が見えていない、見ようとしていないのだと思います。

見方を変えるの見える景色が変わります。
どもって心配や恥ずかしい思いをしている場面は、見方を変えるとどんな景色に見えるのでしょうか?

    このエントリーをはてなブックマークに追加

く~じぃです。

廣瀬カウンセリングでは吃音を当事者間で克服するため、グループカウンセリングを行っています。仲間と話し合うことで様々な意見を聴いたり、違う見方を参考にしたりしながら、今まで思い込みがあった事や、深く考えてこなかったことなどの新たな発見から、吃音克服の糸口を見つけようとしています。しかし多くの吃音者は、どもることの恥ずかしさなどから、自分の意見を話すことが苦手な方が多く、始めは聴く立場で参加する方が多くおられます。私は、このようなことも吃音者の特徴の一つと考えています。

考え方や症状が改善する兆しが見え始める時に、良く感じるのは、その方の『自主性』です。自分の意見を言う、人の意見を一生懸命聴く、周りの仲間を気遣うなどの行動が見え始める時、その人に変化が見られます。このことから、『自主性と成長』は密接な関係があるのだと感じています。でも、このような変化が見えるまでには周りの共感、サポート、後押しなど仲間の存在が大きいのではないかとも感じます。

同じようなことを会社でも感じています。私が働く会社で入社数年の若い社員がいます。この社員は会議でも経験不足などから発言はほとんどできず、聴くことに徹しています。これを見た私は、会議などでは間違ってもいいので必ず発言するようアドバイスをしてみました。そうしたところ会議中の真剣さが変わってきました。

これらは例えるなら、野球をスタンドから見ているか、フィールドでプレーするかの違いだと思います。野球をスタンドから見ていても上手くなりませんが、フィールドでプレーすることによりエラーなどの経験をしながらだんだん上手くなるのだと思います。廣瀬カウンセリングではスタンドで観ている方をみんなでフィールドで一緒に野球をやろうと招き入れるような存在のような気がします。
みんなで吃音について話し合い、みんなで吃音を克服する。これが廣瀬カウンセリングの考え方です。
多くの方に実感してもらいたいものです。

    このエントリーをはてなブックマークに追加

このページのトップヘ