火曜担当tomoです!
復習会では新しい試みをしています。
基本的にはいつものテキストを使うのですが、テキストの理解を深めるために、いくつかの工夫をプラスすることになりました。
前回はkikiさんが担当し、林檎をデッサンをすることで「ありのままにものをみる」ということを体験してみたと思います。
今回3/18は私が担当することになりました。今回はみんなが写した写真を使ってみようと思います。
みなさんには最近写した写真を3枚用意するという宿題がでてしまったのですが、
誰が何を見て何を感じたか、その写真を見た人は何を感じたか・・今からどうなるのかワクワクしています。
コンテスト的な評価ではないので、好きなもの、気になるものを撮って、気軽な気持ちで参加いただければと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
----------------------------------------------------------、
さて、本題ですが、仕事の話はこういうブログではあまり書かないほうがいいとは思うのですが、
吃音とカウンセリングに通ずるような内容はどうしても書きたい衝動に駆られます。
良くないとは思いつつ、今日も前回に引き続き採用の担当の仕事について書こうと思います。
先週は採用面接がありました。
私は面接には出ないのですが、どういう理由で採用・不採用を決定するかという話は耳に入ります。
その選考の会議にて気になる言葉が耳にはいりました。
・あまりにも面接慣れしている
・自信がありすぎる
どういう面接内容だったかは全く分からないで、完全に想像なのですが、
「あまりにも面接慣れしている」というのは、定型文的に淀みなく受け答えするので、どこかよそよそしい印象になったのかな?と思いますし、
「自信がありすぎる」というのも、自己主張が強い印象を与え、チームに溶け込めるかということを不安視したのかな?と思いました。
私からみると「自信を持って淀みなく流暢に話せる」ということは、それだけでも軽く尊敬してしまうので、私だったら高評価をつけたと思います。
自分としては「自信を持って淀みなく流暢に話せる」という点に絶大な憧れがあるので、そういうことに注意が向きすぎてしまうのかもしれません。
でも、「自信を持って淀みなく流暢に話せる」という、その一点だけを見られているわけではないのだなぁということは思いました。
考えてみれば当たり前ですけど。
もし自分が面接官だったら、相手が流暢に話せてるかどうか無意識に注意が行ってしまう気がします。
流暢に話せるかどうかに基準を置きすぎて、どこか人を見る目がアンバランスなのかもしれません。
なにかカウンセリングに似ているというか、
人を評価しているようで、実は自分を評価してるし、人を見ているようで、実は自分をみているような気持ちになります。
思うに、面接の時点で双方にとって正解なんてないんだと思います。
1時間程度でその人のことなんてわかるわけないですし。
もし正解があるとしたら、実際入社して一緒に働く人から必要とされて、それで初めて正解なのだと思います。
ゆのさんの「料理に正解はない」と同じで、面接も同じかなと思いました。
なんだかまとまりのない文章になりました・・。
復習会ではよろしくお願いいたします!!
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基本的にはいつものテキストを使うのですが、テキストの理解を深めるために、いくつかの工夫をプラスすることになりました。
前回はkikiさんが担当し、林檎をデッサンをすることで「ありのままにものをみる」ということを体験してみたと思います。
今回3/18は私が担当することになりました。今回はみんなが写した写真を使ってみようと思います。
みなさんには最近写した写真を3枚用意するという宿題がでてしまったのですが、
誰が何を見て何を感じたか、その写真を見た人は何を感じたか・・今からどうなるのかワクワクしています。
コンテスト的な評価ではないので、好きなもの、気になるものを撮って、気軽な気持ちで参加いただければと思います。
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さて、本題ですが、仕事の話はこういうブログではあまり書かないほうがいいとは思うのですが、
吃音とカウンセリングに通ずるような内容はどうしても書きたい衝動に駆られます。
良くないとは思いつつ、今日も前回に引き続き採用の担当の仕事について書こうと思います。
先週は採用面接がありました。
私は面接には出ないのですが、どういう理由で採用・不採用を決定するかという話は耳に入ります。
その選考の会議にて気になる言葉が耳にはいりました。
・あまりにも面接慣れしている
・自信がありすぎる
どういう面接内容だったかは全く分からないで、完全に想像なのですが、
「あまりにも面接慣れしている」というのは、定型文的に淀みなく受け答えするので、どこかよそよそしい印象になったのかな?と思いますし、
「自信がありすぎる」というのも、自己主張が強い印象を与え、チームに溶け込めるかということを不安視したのかな?と思いました。
私からみると「自信を持って淀みなく流暢に話せる」ということは、それだけでも軽く尊敬してしまうので、私だったら高評価をつけたと思います。
自分としては「自信を持って淀みなく流暢に話せる」という点に絶大な憧れがあるので、そういうことに注意が向きすぎてしまうのかもしれません。
でも、「自信を持って淀みなく流暢に話せる」という、その一点だけを見られているわけではないのだなぁということは思いました。
考えてみれば当たり前ですけど。
もし自分が面接官だったら、相手が流暢に話せてるかどうか無意識に注意が行ってしまう気がします。
流暢に話せるかどうかに基準を置きすぎて、どこか人を見る目がアンバランスなのかもしれません。
なにかカウンセリングに似ているというか、
人を評価しているようで、実は自分を評価してるし、人を見ているようで、実は自分をみているような気持ちになります。
思うに、面接の時点で双方にとって正解なんてないんだと思います。
1時間程度でその人のことなんてわかるわけないですし。
もし正解があるとしたら、実際入社して一緒に働く人から必要とされて、それで初めて正解なのだと思います。
ゆのさんの「料理に正解はない」と同じで、面接も同じかなと思いました。
なんだかまとまりのない文章になりました・・。
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